2011/08/31

戦跡

8月30日、コレヒドール島 (Corregidor Island) に行ってきました。

Corregidor Island (パンフレットより)
18世紀のスペイン統治時代には海賊の侵入を防ぐ税関の詰所として使われたため、スペイン語で”厳しく懲らしめ、治める者”を意味する”Corregidor”の名が付けられたと言われる。
米西戦争後は、米軍の保留地として徐々に補強され、1922年にはトンネル要塞として有名なマリンタ・トンネルが完成。1941年の日米開戦前までには島全体の要塞化を終了した。
1942年5月の日本軍上陸時と1945年2月~3月の米軍奪還時には島内で激しい戦闘が展開された。特に日本軍は玉砕状態で、約6000人の守備隊のうち生存者は20人前後という悲惨な結果となった。米・比連合軍も多数の死傷者を出し、爆撃により島内の草木・動物も「生物は一つとして存在しなかった」と言われるほど焦土と化した。

マニラ-コレヒドール間はサンクルーズ社 (Sun Cruises Inc.) のフェリーで片道1時間30分。2日前にオンライン予約しました。
フェリー往復+バスで島内周遊(英語ガイド付き)+ランチビュッフェ=2,099ペソ(≒4200円)

フェリーは朝の7時半にマニラから出港。
少し早く着きすぎたので、しばらく海辺を散歩。フィリピンの早朝ランナー達に「アンニョンハセヨー」と声をかけられ、爽やかな笑顔で応える私。(慣れた) 「一緒に写真撮らせてください」と言われました。気分は少女時代!!(先日、タクシーの運転手さんに尋ねたところ、「最近は韓国人が1番多くて、次が中国人。日本人は中韓に比べると少ないねー。」と。(因みにその時も「韓国人?」と聞かれたので「中国人です♪」と答えました。気分によって適当に答えています。笑)


さてさて、前置きが長いのが私の悪い癖ですが。
行きのフェリーは地獄でした。
朝は海が荒れ模様だったのです。波で揺れがひどかったです。1時間以上泣きそうになりながら必死に堪えていました。船は1年に1度乗るか乗らないかなので、船酔いのことをすっかり忘れていました…。

顔面蒼白でコレヒドール島に到着。いまだに吐き気と頭痛で立ち上がれないところに、隣の席のお兄さんが「日本人の方ですか?」と。ああ、はい…ニホンジンデース…。
休暇を利用して、短期の旅行に来ているというアラサーのお兄さん(Toshiさん)と私、Ayanoちゃんの3人で会話をしながら島内周遊バスに乗車。直後にAyanoちゃんが同じ列に座っていた白人のおじさん(Benさん)に話しかけて、4人のパーティーが完成。笑
それが、なんとも奇跡的なメンバーだったんですよ!!(興奮)

写真右から
・Ayano、日本人
・Toshiさん、日本人、
自衛隊所属
・Benさん、アメリカ人
(テキサス出身:韓国在住)

(;゜д゜)ふぉぉぉぉ!!!
このメンバーで第二次世界大戦の史跡を巡って、お話しが出来たのは、非常に価値のある時間でした。





十数点の絵画が展示されている小さな美術館にも立ち寄りました。
それら全てが第二次世界大戦の被害(フィリピン人視点)を描いたものでしたが、その全てが日本軍もしくはナチスを残虐な敵として描いたもので、内容もハードな(エグい)ものでした。日本軍やナチスが彼らの敵であり忌むべき存在であることは重々承知していたつもりでしたが、そこまでキツイ表現は、想像以上でした。
虐殺の様子が生々しく描かれていたり、説明文も強く非難する口調でした。(例「日本軍は、まるで”Working animal”のように彼らを酷使した。」)

当時の「日本」という国の行った行為・決定に対する怒り。政府、軍、権力者(指揮者)のことを擁護することは、私にはできません。
しかし、日本「兵」は。戦地で実際に戦い、人を殺し、殺されたのは「国」の命令に従った、力無い一般の人々、「日本人」でした。、「残虐な日本兵」への嫌悪と怒りと同時に、彼ら1人1人の思い、運命を思い浮かべると悲しみと悔しさがあります。戦場に行かなければ人を殺さなくても済んだのに。人を殺すということはどれだけの苦痛と葛藤を彼らに与えたのか。そういうことを考えながら、慰霊碑の前では手を合わせました。



同じくインターン生で、共同生活をしているメンバーに2人の中国人と1人のシンガポール人、1人のインドネシア人がいます。
中国人の2人とは歴史、戦争、政治のことについて何度か話しています。
中国人の1人、Crystalには「Tomoのことが好きだよ~。でも、あなたとAyanoが初めて会った日本人だったのだけど、今までは日本人のことが嫌いだったわ。」と。
それから、南京事件のことも話したし、靖国神社についても。私が「そういえば、靖国神社で夏祭りが開かれているみたいで、びっくりしちゃった。」と言ったら、「なんで!?誰を祀っているか分かっているの!!?Tomoはどう思うの!?」と詰め寄られました。

この場で私の考えをこれ以上述べるのは、止めにしておきますが、「今」を生きている私たちが、近くに住みながら誤解の多い私たちが話すことは、将来のためにも必要なことだと感じました。

国、政治、そういうフィルターを上手く外しながら個人間のコミュニケーションをすること。
前回の記事の続きのようになりましたね。今日はここまで。


コメントお待ちしています。

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